税制適格ストックオプションを発行しようとすると、必ず最初にぶつかるのが「権利行使価額をいくらに設定すればよいのか」という問題です。ここを間違えると税制適格の要件を満たさなくなり、従業員に大きな不利益が生じます。

2023年に国税庁がいわゆるセーフハーバールールを示したことで、この論点の実務は大きく変わりました。本記事では、権利行使価額の決め方と、セーフハーバールールによる株価算定の考え方を、非上場のスタートアップ向けに解説します。制度そのものの要件を先に確認したい方は、税制適格ストックオプションの要件と課税関係の記事をご覧ください。

ストックオプションの権利行使価額はどう決めるのか

権利行使価額が税制適格の要件になっている理由

税制適格ストックオプションの要件の1つに、「権利行使価額が、契約締結時の株式の時価以上であること」があります。付与時の普通株式の時価が1,000円であれば、権利行使価額は1,000円以上に設定しなければなりません。

なぜこのような要件があるのかというと、時価より安い価額で買える権利を与えること自体が、その時点での経済的な利益の付与にあたるからです。時価を下回る権利行使価額を設定してしまうと、実質的には値引きされた株式を渡しているのと変わらず、税制上の優遇を認める前提が崩れてしまいます。

権利行使価額が低いほど従業員の手取りは増える

税制適格ストックオプションでは、課税されるのは株式を売却したときの1回だけで、「売却時の株価 – 権利行使価額」が譲渡所得として20.315%の税率で課税されます。同じ株数を同じ価格で売却し、税制適格の要件を満たすという前提のもとでは、権利行使価額が低いほど、従業員の税引後の利益は大きくなります。

具体的に見てみます。以下は売却手数料等を考慮せず、売却代金から権利行使のための払込金額と譲渡所得課税を差し引いた、1株あたりの税引後利益です。

売却時の株価を1株3,000円とした場合、権利行使価額が1,000円であれば課税対象は2,000円、税額は約406円で、税引後利益は約1,594円です。一方、権利行使価額が1円であれば課税対象は2,999円、税額は約609円ですが、払込金額が999円少なくて済むため、税引後利益は約2,390円となります。1株あたり約796円の差が生まれます。

付与する株式数が数万株、数十万株になれば、この差は従業員1人あたり数百万円規模になります。権利行使価額をどう算定するかが、インセンティブ設計の成否を分けると言ってよいと思います。

セーフハーバールールとは

2023年の通達で何が変わったのか

問題は、非上場企業には市場株価が存在しないことです。とくに、資金調達で種類株式(優先株式)を発行しているスタートアップでは、優先株式の1株あたりの価額は高くても、従業員に渡す普通株式の時価をどう算定するのかというルールが明確ではありませんでした。

そこで国税庁は2023年7月、租税特別措置法関係通達29の2-1を新設し、権利行使価額の基準となる「1株当たりの価額」の算定方法を明らかにしました。この通達に沿って算定している限り、税制適格の要件を満たしていないと否認される心配がないという意味で、実務ではセーフハーバールールと呼ばれています。

原則的な方法と特例方式の違い

通達では、まず原則として、所得税基本通達23〜35共-9の例により算定するとされています。最近の適正な売買実例、類似する他法人の株価、純資産価額等を順に参酌して、通常取引されると認められる価額を求める方法です。

これに加えて、取引相場のない株式については、財産評価基本通達178から189-7までの例によって算定した価額でもよいという特例が認められました。これが実務で広く使われている特例方式です。相続税の非上場株式の評価で用いられる考え方を借りてくるもので、後述する3つの条件を満たすことが前提になります。

ただし、相続税の評価をそのまま使えるわけではありません。通達は、特例方式を使うための条件として次の3つを定めています。

①新株予約権を与えられる人が、発行会社にとって「中心的な同族株主」に該当する場合は、発行会社を常に「小会社」に該当するものとして計算します。創業者やその親族が付与を受けるケースが該当します。

②発行会社が土地(土地の上に存する権利を含む)または上場有価証券を保有している場合、1株当たりの純資産価額の計算にあたって、これらの資産は契約時における価額で評価します。含み益のある資産を簿価のまま据え置くことはできません。

③特例方式で純資産価額方式を用いる場合、1株当たりの純資産価額の計算にあたって、評価差額に対する法人税額等に相当する金額を控除しません。相続税評価では控除が認められますが、ここでは控除できない点が異なります。

なお、特例方式は純資産価額方式に限られるわけではありません。財産評価基本通達の例によるため、同族株主等以外の者が取得する株式の評価に該当する場合は配当還元方式を使うこともできますし、原則的評価方式を選ぶこともできます。「特例方式イコール純資産価額方式」と理解してしまうと、自社に使える選択肢を見落とすことになります。

なぜ権利行使価額を1円に近づけられるのか

特例方式で純資産価額方式を用いると、算定される株価が低い水準にとどまることがあります。理由は、この方法が会社の純資産をもとに評価する方法であり、将来の成長期待を株価に織り込まないからです。

スタートアップは、優先株式で高いバリュエーションによる資金調達をしていても、先行投資によって累積赤字を抱えていることが少なくありません。調達した資金を使って事業を伸ばしている段階では、純資産が小さく、1株あたりの評価額も小さくなります。結果として、投資家が高い単価で1株を引き受けている会社であっても、普通株式の評価額は低く算定されることがあります。

ここで注意していただきたいのは、算定株価がいくらであっても自由に1円にできるわけではないという点です。国税庁のQ&Aで権利行使価額を1円以上の任意の金額とする取扱いが示されているのは、純資産価額がマイナスとなり算定株価が0円となる場合に、備忘価額として設定するケースです。正の株価が算定された会社が、それを下回る価額を任意に設定できるわけではありません。

セーフハーバールールの登場によって、この算定を自信をもって行えるようになったことが、スタートアップにとっての最大の実務的な変化だと思います。

税務上の時価と会計上の時価は別物

会計上は「本源的価値」で費用を計上する

ここで見落とされやすいのが、セーフハーバールールはあくまで税務上のルールであり、会計処理とは別だという点です。

会計上、ストックオプションを付与した会社は、一定期間にわたって株式報酬費用を計上する必要があります。原則は、付与日におけるストックオプションの「公正な評価単価」を用いた測定です。ただし非公開企業は、公正な評価単価に代えて、付与日における「自社株式の評価額 – 権利行使価格」である単位当たりの本源的価値を用いることもできます。本源的価値方式は選択できる代替方法であって、非上場なら必ずこの方法になるわけではありません。

本源的価値方式を選んだ場合、権利行使価額を低く設定するほど単位当たりの評価額は大きくなります。ただし、各期の費用計上額はこの単価だけで決まるわけではなく、付与したストックオプションの数、権利が確定しないと見込まれる数、対象となる勤務期間への配分を反映して算定します。税務上のメリットと会計上の負担はトレードオフの関係にあるので、「1円にすれば必ず得」という単純な話ではありません。

算定書の取得コストと監査法人とのすり合わせ

会計上の株式の時価については、外部の専門家から算定書を取得するよう監査法人から求められるのが一般的です。ここには次のようなコストが発生します。

①算定書の取得費用そのもの。②ストックオプションの発行によって監査手続が増えるため、監査報酬も増加します。とくに大手監査法人で、監査手続の中で専門家の利用(監査法人が外部の専門家に検証等を依頼すること)が生じる場合は、金額が大きくなることがあります。

また、IPOが近づくにつれて、より厳格な評価方法が求められるようになります。算定書を取得する際には、評価方法について事前に監査法人とすり合わせておくことを強くおすすめします。後から評価方法をやり直すことになると、時間も費用も余計にかかります。

権利行使価額を決めるときの実務上の注意点

優先株式を発行している場合

VCから優先株式で調達している場合、「直近ラウンドの1株あたりの価額」と「従業員に付与する普通株式の時価」は別物です。優先株式には残余財産の優先分配権などが付いており、その分だけ普通株式より価値が高いためです。

直近の調達単価をそのまま権利行使価額にしてしまうと、従業員にとってのメリットが大きく損なわれます。優先株式の直近調達価額を普通株式にそのまま当てはめるのではなく、残余財産の優先分配権や転換条件といった種類株式の権利内容を反映して、普通株式の価額を個別に算定するのが出発点です。

通達にも、発行会社が会社法第108条第1項に掲げる事項について内容の異なる種類の株式を発行している場合には、その内容を勘案して「1株当たりの価額」を算定することに留意するという注記が置かれています。優先株式を発行しているスタートアップは、この点を算定の前提として押さえておく必要があります。

年間の権利行使価額の上限とは別の話

「権利行使価額」という言葉には、本記事で扱ってきた1株あたりの価額のほかに、年間の権利行使価額の上限という別の論点があります。2024年4月1日施行の改正後は、設立5年未満の会社では実質的に年2,400万円、設立5年以上20年未満で非上場または上場後5年未満の会社では実質的に年3,600万円、それ以外は年1,200万円が上限です。

なお、法令上は単純に「2,400万円以下」「3,600万円以下」と書かれているわけではなく、2,400万円の区分では権利行使価額を2で除した金額が、3,600万円の区分では3で除した金額が、それぞれ1,200万円を超えないことによって判定します。端数の計算にも取扱いがあるので、上限ぎりぎりの設計をする場合は事前に確認が必要です。

この2つは名前が似ていますが、まったく別の要件です。情報を集める際に混同しやすいので、注意してください。

よくある質問(FAQ)

上場会社の場合も同じですか?

いいえ。上場会社には市場株価があるため、契約締結時の時価は市場価格を基準に決めることになります。セーフハーバールールは、市場株価が存在しない取引相場のない株式についての論点です。

種類株式を発行していなくても特例方式は使えますか?

使えます。通達の特例は取引相場のない株式であることを前提としており、種類株式を発行しているかどうかで区別されているわけではありません。優先株式を発行していない創業初期の会社でも検討できます。

権利行使価額を1円にすれば必ず有利ですか?

従業員の手取りという観点では有利ですが、先ほど述べたとおり会社側の株式報酬費用は増加します。赤字幅が拡大することで、金融機関や取引先への説明が必要になる可能性もあります。会社の状況を踏まえて判断すべきだと思います。

まとめ

権利行使価額は、税制適格ストックオプションの要件を満たすかどうかを左右すると同時に、従業員が最終的に手にする金額を決める重要な設計要素です。2023年のセーフハーバールールの登場により、非上場のスタートアップでも根拠をもって算定できるようになりました。

一方で、税務上の時価と会計上の時価は別物であり、算定書の取得や監査法人とのすり合わせという実務上の負担も伴います。発行を検討する段階で、税務と会計の両面から確認しておくことをおすすめします。要件の全体像については税制適格ストックオプションの要件と課税関係の記事でまとめていますので、あわせてご覧ください。

参考